ギャルの遠吠え

脈絡ゼロ!

私はきっと生霊を飛ばしている

高校の同窓会を終えた。当時のクラスの3分の1ほどしか来ていなかった。朝まで飲もうとしたのは夜の仕事に慣れきった私だけで、健全で高学歴のみんなは日付が変わる前に帰ってしまった。不完全燃焼の私はその後駅のコンビニで缶チューハイを買って、彼氏の家に泊めてもらった。

 

そもそも今回は参加するつもりなど毛頭なかったのだ。高校の時に好きだった男の子が来るから、というなんとも子供じみた理由で休むつもりだった。でも仲の良い友人に「来なければ承知しない。」と言われ、嫌々参加した。

彼は変わっていなかった。ずっとあの時のまま、格好良かった。私は不必要なまでに距離を取り、端の席に座ってやり過ごした。彼が知っているのは高校生の時の真面目な私で、下品な声で笑う化粧の濃い女を視界に入れて欲しくなかったから。

私の中で彼は成仏している。そう思っていた。私の中に残っているのは、正確に言えば付き合いたいとかそういう気持ちではなくて、執着なのだ。惨めでドロドロした塊だけ。

高校を卒業してからも、私はそのドロドロを抱えて過ごしていた。彼に勧めてもらった曲、本、映画の全てを異常なまでに避け、封印した。彼から貰ったメモ書きも捨てられずに、押し入れの奥底に眠らせた。でも、今の彼氏と出会ってからはそんなことも無くなった。だから成仏したのだと思っていた。

念の為に言っておくと、私は彼と付き合いたくはない。何様のつもりだと思われそうだけれど、絶対に嫌なのである。彼は憧れの存在そのもので、私と付き合うのは話が違う。家柄も品も良いお嬢さんと幸せに過ごして欲しい。遠くから、でも目の届く範囲から、彼の動向を死ぬまで追い続けたい存在。だから厄介だ。失恋してしまえば諦めがつくけれど、恋心は1ミリも湧いてこない。そろそろ生霊でも飛ばしていそうである。

だからこそ、その生霊を同窓会で回収するつもりだった。そして失敗に終わった。なんとも無様である。死ぬほどブサイクになってくれていればよかった。或いはイキリ散らかしたり、調子に乗っていて欲しかった。彼が初めて付き合ったのだという彼女の話を聞き、変わっていない彼の姿に見とれるだけだった。びっくりするほど変わっていなかった。いくらアルコールを流し込んでも、良いが回らなかった。

 

そんな完敗を経て、今これを書いている。

書いていて思い出したのだけれど、高校の時に1度、彼と絶対に受からない級の漢検を受けに行ったことがある。当然彼も私も受からなかった。ただ受験会場の周りを観光しただけで終わった。

今から勉強してその級を受けてみようかと思う。もうここまで来たらやけくそである。もしかしたら私の生霊も、彼にこの提案をしているかもしれない。だったらいいな。

ママと私

最近、母とどう付き合って良いかわからない。

なんだか限界が来たような気がする。でもなんでそうなのかわからない。誰かに相談したい気がするけれど、母親とそこそこ以上に良好な関係を築いている人にはあんまり理解されない感じもする。もし理解されなくて「でも世界で1人のお母さんだからね。」「母娘だから分かり合えるよ。」とか言われたら…と考えると怖くて言えない。私に初めて前科がつきそうである。

 

毒親」というワードはなんだか怖くて使えない。自分の頭の中にある言いたいことと「毒親」という言葉はなんだか綺麗には一致しなくて、惜しいところまでいっているけれど、意図しない解釈を招きそうでもある。「毒親」はもっとこう、法に触れたり行政の介入を必要とする親な感じがするのだ。それに、とりあえず育ててもらったし、という恩義もきっと、この言葉を使うことを躊躇させている。

 

ずっといい子で生きてきた。成績も愛想もいい、家庭訪問では「素晴らしくいい子ですね。」と言われる子供だった。というか今も良い子体質は抜けていなくて、夜にお酒を飲みに行くのはなんだか悪い子みたいだし、タバコも吸おうとは思わない。赤信号で横断歩道を渡る人種とは仲良くしたくないと思う。真面目そのものだ。

頭が良いというのはきっといい事だけど、物事には必ずメリットとデメリットというのがある。私は頭の良い子供だったけど、この性質が母親の毒気を増幅させてしまったのだと今になって思う。母は完全に「私の子育てが良かった。」との自己評価を下してしまっている。

私にはアトピーがある。先天性のもので、父からの遺伝だ。かなりきついので、生まれる前からアトピー持ちの子供が生まれることがわかっていた。それなのに、乳幼児期を過ぎてから私は皮膚科に連れて行ってもらっていない。アトピーが治っていないのに、母が色んな民間療法(笑)を試していて、「病院は悪!」としてしまったからだ。痒くてたまらないのに薬が家にない、という小学生時代の記憶が今でも蘇ることがある。この病院に対する不信感はまだしっかりと母の中に残っていて、今でも病院に行きたいと言うと嫌な顔をする。父は言わずもがな人間性をどこかに置き忘れた人間だから、自分だけ病院に行っていた。

母は自分がいかに大変か、過去に自分がいかに苦労したかを知って欲しい人だ。それ自体は別にいいというか、こうしてブログに吐き出している私が言えたことじゃない。ただ私と違う点は、それをぶつけるべきではない人間にぶつけてしまうところである。私は乳児の時、寝ない子供だったらしい。三日三晩泣き続ける子供で、それはそれは育てにくかったと。まあそりゃ申し訳ねえが、正直勝手に私を作って産んだのはお前らなので、知ったこっちゃない。それでも母は「あなたのせいでずっと寝れなかった」「弟は育てやすかったのに、本当にやりにくかった」と私に今でも言ってくる。

まあそれだけならハイハイとやり過ごすけど、母は容赦なく私の心をえぐり続けた。「あなたのせいで私は仕事を辞めた。もっと稼げていたのに、働けなかったのはあなたのせい。」と呪文のように言い続けながら私を育てた。今考えたらヤベえなこいつ、としか思わないけれど、ずっと洗脳されていた私は「私のせいで貧乏なんだから、我慢しなくちゃ。」とずっと思いながら育った。大人になって周囲の人に話して初めて「それは虐待に近いよ。」と言われて気がついた。母曰く、「お母さんが仕事に行ったらお母さんと過ごせなくなるけどいい?」と1歳の私に聞き、私が「嫌だ。」と言ったから私のせいらしい。そりゃそうなるだろ。常識的に考えて、1歳児が「家計大変だもんね。いいよ。」と言うわけがない。でも母はそう信じているし、母方の親族もみんな「お母さんは働きたかったのにあなたのせいなんだから、贅沢言わないの。」と言われていた。カルトだったのかもしれない。現実としてうちにお金はなく、大学進学する時もアパートの初期費用含め全て出せないと言われて大学進学を断念した。バイト禁止のガリ勉高校だったから、当然バイトしてお金を稼ぐ方法もなかった。それでも「私のせいだから。」と思っていた。洗脳って怖い。

私が勉強して格安で留学することはできたものの、その見送りだと言って、私は断ったのに全員で新幹線で東京まで着いてきた。そして挙句の果てに「あなたのお見送りで東京まで行ったせいでさらに家計が火の車だ。」と母は私に言い放った。「だから来なくていいって言ったじゃん。」とは言ったものの、「着いていってあげたのにそんな言い方はない!」と憤慨していた。逃げ道はない。

「私のせい」が染み付くと、絶対に弱みを見せてはいけないという心理が働く。だから、私が高校の時に大学進学できないと知ったショックでしばらく保健室通いしていたことも、ご飯を食べてももどしていたことも全く知らない。母の中で私は「意見をズバズバ言う図太い子」だ。「ぽっちゃりしている」と私をいじっていたりもしたし、私はかなりの精神攻撃を受けていた。本人はそんなつもりない感じだったけれど、私には会心の一撃でした。だから私はルッキズムの権化で、今でも太っている人はダメだと無意識に思ってしまうし、自分の顔が四六時中気になる。メイクしていない顔は誰にも見せられず、すっぴんの時に室内で電気をつけられると動悸がしてしんどい。

父にも攻撃を受けたけれど、応えたことはあまりない。それでも、私が事故の後遺症で車椅子を使った時に「そんなのを使っていたら変な子を連れていると思われる」と言われたことは今でも消せない。私の体にタトゥーとして残っているような、そんな感じがしてしまう。

母は常に自分がしんどいことをわかってほしい生き物だ。そのくせ、私のしんどさはどうでもいいらしい。私が夜の仕事と通信制大学生を両立していても、どこか私の仕事を見下している。「昼間暇なんだから𓏸𓏸したらいいのに。怠惰だ。」と言ってくる。私にとって昼間はそもそも寝る時間だ。夜勤の人は昼間寝る。日勤の人は夜寝る。それだけである。そもそもお前らが大学の費用を出してくれねえからこんなことになっているのに?と思うけれど、そんなことをしたら母方の親族に泣きついて「あの子はキツい。」とぴえんぴえんされるだけ。そして親戚に「育ててもらった恩を仇で返すキャバクラで働いているような親不孝な娘」というイメージがつくだけだ。この間丸一日授業を受けた後、へとへとで食事も取らず眠ろうとしていたら「お気楽でいいね。」と嫌味を言われた。全然言わんでも良かったやろ、それ。

私は先天的に空間を把握したり、表を読むことができない。一種の脳の欠陥らしく、車はおろか自転車すら乗れない。それが母は不服らしく、「自分の足で行けば?」とやたらに言う。こんな田舎に産んでおいて、それはないだろう。私の地域にはバスもほとんどなくて、車がないと生きていけない。それでも機嫌が良くないと車は出してくれないのだ。私にもっと生活に支障をきたすような障害があったらどうする気だったのだろう。

母のタチの悪いところは周囲に素晴らしい人格者だと思われていることだ。子供たちには愛情深く、感情的になることもないと思われている。そして彼女自身も自分にそんな評価を下している。「私は感情的にならないのに、あの子はすぐキレる。」と思っているようだ。私は確かによくキレるけれど、それを少なくとも自覚している。それに母にキレることはほとんどなくて、基本的には機嫌の悪い母のご機嫌取りをしている。「朝起きるのがしんどい」「仕事で疲れているのにどうして私は横になれないのか」と誰も頼んでいないしする必要のない作業をしながらキレている母の相手をしているのだ。ずーっと母の顔色を見ながら生きてきてしまったせいで、人一倍空気が読めてしまう。だからできるだけ「元気で脳天気なお姉さん」であろうとしてしまう。そうしていれば場の空気が怖くならない。もはやアダルトチルドレンの仲間入りだ。

私は親不孝者でキャバクラなんていう非道徳的な場所で働いているのに、親を好きでいられない。この事実がどうにも受け入れづらい。両親に感謝して生きることも、「こんな親、親じゃねえ!」と突っぱねることもできない、中途半端な奴だ。一人暮らしすればいいんだろうけど、大学の関係もあって圧倒的に収入が足りない。コロナ後遺症を患ってからは出勤日数も減らさざるを得なくなっている。

こんな私がいつか、母との関係に答えを出すことができるのだろうか。それとも母が亡くなってからもこんな風に悩むのだろうか。それだったらヤダな。

スーパーフードと猫

食欲の秋は猫には適用されないのか、はたまた我が家のプリンセスの気まぐれなのか、猫様の偏食が悪化してしまった。元々私に似たのか偏食が凄まじく、チキンは全て拒否し、世の猫たちをトリコにしている〇ゅーるさえも召し上がらない。二口ほど食べて、『おあとがよろしいようで』と去っていく。ジビエはお好きらしく、鹿肉ジャーキーはバリバリと召し上がっている。違いのわかる猫なのかもしれない。

子猫の時から筋金入りだったから、とりあえず好きなご飯をいくつも試した。お財布に大ダメージを食らったのは言うまでもない。その甲斐あって、最近は特定のご飯で落ち着いていたのだ。

そんな猫様がまた「このご飯イヤイヤ期」に入った。多分飽きたのだ。放っておけば食べると言われるが、姫様は気高いので何があっても食べない。そして痩せる。猫のダイエットはとても難しいらしいが、我が家の猫様はすぐに痩せてしまう。今回も少し痩せてしまったので、大慌てで色んなご飯を試すに至った。もう国内のフードはほぼほぼ試してしまっているから、海外のプレミアムフードに縋るしかない。一体私の食費の何倍なんだろう。考えたら負けだ。

ニンゲンはもう猫様に支配されているから、フードの種類が無限にある。日本のものだとチキン、まぐろ、かつおフレーバー辺りが主流だけれど、海外のだと馬、うさぎなんてのもあったりする。探しているとチアシード入りもあった。果たして猫様は『やっぱりチアシードが入っていると体が軽くなるにゃん』なんて思うのか?そもそも美味いのか?ニンゲンでさえあれを好んで食べている人はあまり見かけない。意識の高いモデルや海外セレブのイメージしかない。それとも偏食な我が家のプリンセスはこういうものをご所望なのか?なんかこう毛並みが良くなったり、肉球がツヤツヤしたりするのか?チアシードが猫様にもたらす影響を私は想像できない。

結局未だにチアシード入りキャットフードの購入は見送っている。まずは私がチアシード生活をしてみるべきか、悩んでいる。

音楽がわからないギャルと読む歌詞~第1弾~

音楽を聴く時、音そのものを楽しむ人と歌詞を楽しむ人の2タイプがいる。前者は洋楽も歌の入ってない所謂インストも楽しめる人が多いし、後者はカラオケで歌うことが好きな人が多いというのが私の勝手な分析である。

私は完全に後者だ。音楽を聴く時も、アプリで表示される歌詞に釘付けになる。音楽は好きだけれど、音楽理論はまるで分からない。だから「あの場所のベースラインがイカすんだよ」「ここの転調がいいね」と語れる人が羨ましい。知識がないと、あまり音そのものを楽しむことは出来ないように思う。反対に「頭を空っぽにしてBGMとして聞いているから」という理由で、音だけを楽しむ勢もいる。これはこれで音楽の良い聴き方だろう。私は「音楽とはこうあるべきだ」みたいなことを語りたいわけでは全くない。各々好きなように聴きたい曲を聴けば良い。

ではなぜこんなものを書いているのか。動機は2つある。1つ目は「こんな曲私好きなんだ〜」と良さをただ言いたい。もう1つは私がその曲に触れることによって、聴く人が増えて布教したことになるのではないかと考えたからだ。だからこのブログは「ただただ私が好きな曲を音楽理論も何もなしに語るだけ」である。音楽に対しての情熱が過剰なまでにある人や、音楽への知見を深めようとしている人には向かない。ギャルがただ長い爪をスマホの画面にカチカチとぶつけながら書いている、それだけの文章なのだから。

 

記念すべき第1弾は「ここでキスして。/椎名林檎」だ。私は小学校に上がる前から彼女のアルバムを聴いていた。よくよく考えれば子供に聴かせるような歌ではないのだが、放任主義な親のおかげで私はいつでも好きな音楽を楽しめた。歌詞の意味はよくわからないけれど、なんだか大人がいけないことをしているところを覗き見ているような妖しさが私を惹き付けた。大人になったら、私もこんな気持ちになるのだろうかと思いながら、今日この日に至るまで聴き続けている。無論、音楽界のクイーンの思考はただの田舎者ギャルに理解出来るはずもなく、今日も聴いている。香水も彼女が使っているという眉唾ものの情報を鵜呑みにして、お揃いだ。きっと一生彼女の脳の中身に辿り着けることはないのだろう。

そんな彼女の曲の中でも「ここでキスして。」は比較的直接的な歌詞でわかりやすい。彼女が高校生の時に書いたからなのかもしれない。出だしの「I'll never be able to give up on you.」がもう既にかなりはっきりラブソングであることを示している。直訳するなら「私はあなたを諦めることができない。」になる。ただここで好きなのはcannotではなくて、never be able toになっているところだ。どちらも「〜できない」になるけれど、前者はずっと保持している能力を表して、後者はどちらかといえば一時的なニュアンスを含む。まあ単に文字数的に後者の方がしっくり来たんだろ、と言われれば元も子もないのだが。わざわざ後者を使うことで、今恋に落ちている・熱に浮かされている感じが伝わってくる気がする。愛みたいな深いものよりは、恋していて後先考えている場合じゃない感じが好き。

1番の歌詞は割と女子高生が大人の男性に対して強がっているような印象を受けるけれど、2番からは少し焦りが滲んでいる感じを受ける。「そりゃあたしは綺麗とか美人なタイプではないけれど こっち向いて」なんて、林檎様に言わせてしまう男性がいたのだろうか。もしいるのであれば、是非どんな男性か一目だけでも拝見したいものである。サビの「どんな時も私の思想を見抜いてよ」というのも、かなり良い。よくよく考えれば、思想を見抜かれたいなんて微塵も思ったことがないのだけれど。「わかってよ」というかまちょなメッセージが当時JKだった林檎様に言わせるとこうなるのか、とびっくりする。

タイトルでもある「ここでキスして」は、余裕がなくなりきった末の「とりあえず今すぐキスしてよ」感がある。キスしてしまえば彼が離れていかないというわけでもないのに。好意が言葉だけでは伝わっていない感じがするし、もどかしいからキスという行動に出ている。そんな女の子が浮かぶ。

何故か椎名林檎はこのPVで赤い縄で亀甲縛りをして演奏している。私にその感性はないけれど、恋心に支配されていることを表したかった(のかもしれない)と解釈している。私ごときに林檎様の考えが読み切れるとは思っていないので、多分違うが。私がどう聴こうと、林檎様は知ったこっちゃないのである。

おこがましいことに、私はまだ「ここでキスして!」と言わせる男性に出会っていない。一生出会わないかもしれない。身を縛り付けるような恋自体が、椎名林檎が作り上げたフィクションなのではないかとすら思っている。そんな体験をしたことがある人は極小数だろう。本能的に相手のことを欲しいと思わなければ、衝動的な接吻には至らないのではないか、と思えてならない。

東の魔女が死んだ。

祖母が亡くなった。母方の。ガンでじわりじわりと。

 

私はこのブログを火葬が終わってすぐ、恋人の家に向かう途中の電車で書いている。彼の家にいる時に訃報が届いたので、急いで1日帰ってきた。彼には悪いことをしてしまった。

 

私はこれまで葬式というものにまともに参列したことがなかった。物心つく前に祖父のお葬式があったらしいが、覚えていないからノーカウント。この祖母のお葬式が私の初のお葬式だった。

家族葬を祖母も親戚一同も希望していたので、10人足らずの小さな式。式の前に祖母の顔を見たのだけれど、痩せこけて別人のようになっていた。それだけガンとの戦いは壮絶なものだったのだろう。私の知っている魔女のような祖母はもうどこにもいなかった。そう、彼女は魔女だった。私の家から見た時に東の方角に住んでいたから、某有名小説のタイトルをもじって、東の魔女ということにする。

元々彼女はお嬢様育ちらしかったが、駆け落ちして結婚するくらい肝は据わっていた。だが祖母は所謂「男によって変わるタイプ」だったから、祖父の前ではお上品で可愛い人だったらしい。私が物心つく前に祖父は亡くなっていたから、そんな祖母の姿を私は知らない。祖父を亡くしてから祖母は本性を現した。孫が少しでも騒ごうものなら怒鳴りつけ、警察を「サツ」と呼び、泊まりに行ったら朝ごはんにカップ麺を出した。一緒に買い物に行くと、ゲームセンターに一目散に向かい、台を叩きながらスロットを打った。一般的なおばあちゃん像からは程遠い人だった。私も上品な人間ではないが、祖母は明らかにお嬢様育ちには見えなかった。「おばあちゃん像」からかけ離れてはいたものの、明るい人ではあったから私は嫌いではなかった。母が勧めた新興宗教陰謀論を丸呑みにするところ以外は。それでも叔父に対しては甘かったため、叔父の前では「優しいおばあちゃん」を演じていた。嫌味を言うことも多々あったし、ひねくれているところも沢山あった。ドライブ中に「あのお店美味しかったよ〜」も言おうものなら、なぜ前行った時に誘わなかったんだとキレだすところもあった。かと思えば意見を率直に言い過ぎて、母の結婚相手である私の父と大揉めし、離婚騒動にまでなった。私から見れば、祖母は魔女みたいな人だった。

 

そんな祖母が亡くなった。ガンが発覚してから半年ほど。彼女が日に日に生気を無くしていくのを見ていたから、悲しさはなかった。祖母の遺体はもう生き物ではなかったし、燃えた後はただの骨だった。遺影の中で祖母は澄ました顔で笑っていた。「あんた、そんな人じゃないだろう。」と思いながらお経を聞いた。あんな数十分のお経で、自分の死後の世界をなんとかされるような人じゃないと思った。祖父が亡くなってからはずっと「早く迎えに来て欲しい」と言っていたから、きっと偉いお坊さんにお経を唱えられようが、孫にHIPHOPで韻を踏まれようが、這ってでも祖父の元に行くタイプだ。そして、祖母に付けられた戒名はなんだかふんわり柔らかく儚い人をイメージさせるものだった。例の「おばあちゃん像」を演じている時のあの人に付けられたものだから、あまりにもしっくり来ない。「優しくて百合の花のようなお花の良く似合う人でした」とお坊さんは言っていた。吹き出しそうになった。美人ではあったけれど、トゲのあるアザミのような人だったのに。叔父と叔母はひどく泣いていたけれど、私の母はファンキーな祖母だった姿を知っているから泣いていなかった。寝たきりの期間も長かったので、元々覚悟も出来ていたのだろう。私も一滴も涙は湧いてこなかった。平均寿命が近かったから、病気でなくても近いうちに亡くなっていただろうし。

出棺の時も火葬する時も、祖母の棺は頭から運び込まれた。人間は生まれてくる時も死ぬ時も頭からなんだな、とぼんやりしたことを考えていた。

祖母に対してあまりかける言葉が見つからない。嫌いじゃなかったけど、「もう亡くなるだろうな」と覚悟していた時間が長すぎた。お盆の終わりに亡くなったことだし、きっと祖父が連れて行ったのだろう。祖母本人が1番それを望んでいたから、むしろおめでたさを感じるほどだ。

せめてもの餞として、こうしてブログを綴っている。「私に似て美人なんだから、もっと街を歩いて美しさを見せつけてやれ。」と私に祖母は言っていた。ルックスは1ミリも似ていないけれど、私もあの人のようにある程度自由に生きていきたい。もう少し可愛げは欲しいけれど。年老いても自分勝手でいることは、きっと割と難しい。聞き分けが良くなったり、年長者として振る舞ってしまう。そう考えると祖母はあっぱれな生き方をしてくれたと思う。

 

魂がどうとかは知らないけれど、生まれ変わるとしても性格は変わらないはずだ。もし祖母がまた生まれ変わって現世に来るのなら、来世もちゃんと美人で生まれてきてほしい。じゃないときっとあの性格は許されないのだから。

母と陰謀論~重曹クエン酸水を添えて~

私は基本的に色んなものを疑って生きている。友人や家族、そしてペットまで、あまり信じてはいない。

なんでもかんでも信じないぞ!と意気込んでいるわけではなく、盲信していないという表現の方が正しいかもしれない。友人と縁が切れても「まあそんなもんだよな」と思うし、家族とそうなってもそう思う気がする。

 

別にこれは批判ではないけれど、たまにペットを信じきっている人がいる。まだ善悪の判断がつかない赤ん坊に犬や猫を近づけたり、赤ん坊が耳やしっぽを掴んでも「攻撃しちゃいけないってわかっているから噛んだりしないの」と言う人。私にはあれが不思議でたまらない。人間ですら衝動に駆られて人を殺めるというのに、何故犬や猫がずっと我慢できると思うのか。

私は1匹の猫と暮らしている。彼女はとても利口だし、まだ人間を噛んだり引っ掻いたりしたことがない。多分赤ん坊を目の前にして、しっぽを掴まれたところでいきなり攻撃したりはしないはずである。でもこれはあくまで「そのはず」なだけだ。「多分」そうなだけ。

私は家に人が訪ねてきて、彼女を触ろうとした時には「噛まない保証はしない」と伝える。それは別に彼女が噛むと思っているわけではなくて、もし噛んでも人間側が悪いと前もって言っておく必要があると思っているから。

言葉が通じず、こちらは動物の思考の全てを把握することはできない。だから絶対「うちの子は大丈夫」なんて思うことはできない。

乳幼児も同じだ。言葉は悪いけれど「ニンゲンナラズ」みたいなもので、動物に危害を加えないという保証はどこにもない。現に私はそのニンゲンナラズと近づくのがちょっと怖い。

 

少し話が逸れたけれど、こんな風に私はペットを信じていない。今私の中で1番優先順位が高いのが猫様だから、それ以下の人間はもっと信じていない。

どうしてこうも懐疑的な人間になったのかと考えると、やはり母の影響が大きいと思う。

 

母は優しい人で、家事もそつ無くこなすタイプのいわば「良妻賢母」である。少なくとも外側からはそう見えるし、私もかなり手をかけられて育った。美味しい料理、掃除された部屋に清潔な衣服。大人になって飲食のアルバイトをするまで、私はカビの生えた食べ物を見たことがなかった。母はそうやって家庭の中を良い状態で保つことが得意で、家事自体も嫌いではないらしい。

でも母は少し騙されやすいところがあった。あったというか、今もある。次々と新興宗教ネズミ講陰謀論にハマるのだ。

私の知っている限りでは6つほど。ただ私の物心がつく前にも何かしらに傾倒していた可能性があるので、本当はもっとかもしれない。怖くてそんなこと聞けるわけがない。具体的な団体名を出すと危ない気もするから、ここでは名前は出さないが、とにかく母はそういったものにハマりやすい。そんな母を私は反面教師にしてきた。

信教の自由は当然母にもあるので、それ自体を否定することはない。それでも、何かに取り憑かれたようにハマる母と過ごすのは苦痛だった。親がそういうものに心酔していると、基本的に子供に拒否権はない。無関心を貫くことはできるけれど、避けて生きることは不可能である。父親は前のブログでも書いたように空気のような人なので、母が何にハマっていようと何も言わないししなかった。全く役に立たない父親である。

幸い母は金銭を多額に投入するタイプではなかったので、それも影響したのだろう。

 

私の1番古い記憶にあるのは子供と母親の集まりを装った宗教団体だ。ハマる流れはよく知らないけれど、ネットで調べたところ、子育てに悩む母親をターゲットにしているらしい。教えとしては「男性が1番偉いので、妻や子供は父親を尊敬しなくてはならない」的なやつだった。時代錯誤も甚だしいが、そんな感じ。その教えからか、母は父を見送る時に玄関で三つ指をついて土下座していた。あの時の父の表情、その場の空気は絶対に教育に良くなかった。当時の父親の心境を聞きたいところである。

その次にハマったのが確かネズミ講だ。市販の石鹸やシャンプーは毒だから、この製品を使うと健康になるとかなんとか。どう毒であるか、そのメカニズムまでは幼かった私は覚えていない。この辺から母はオーガニック信仰になった。

その後も次々と、今問題になっている宗教団体、チャクラがどうのこうという霊感商法的なものにハマった。よくもまあ飽きないものである。

 

そして今彼女が熱を上げているのがそう、陰謀論である。コロナのワクチン接種が始まったくらいから、彼女のそれは始まった。

ハマった経路としては、マッサージだか整体だかに行って、そこで彼らの言う「真実」とやらを教えられたらしい。コロナワクチンは人口を減らすための生物兵器だの、ワクチン接種者からワクチンの毒素(?)が発せられるから未接種者も解毒をする必要があるだの、そういう「真実」を聞いてきた。

案の定、母はそれを熱心に信じた。まずコロナワクチンの解毒を含め、様々な病気にならないためには身体をアルカリ性に保つ必要があるらしい。食べ物から洗剤まで諸々に含まれる添加物を避け、風呂の湯にマグネシウムの玉を突っ込み、よくわからない岩塩を水に溶かして飲み、重曹クエン酸水も飲むことに精を出した。そもそも身体をアルカリ性に保つための努力の意味がよく分からないのだけれど、とにかくそうしなくては色んな病気になるらしい。

そして私を含め家族を巻き込み始めた。花粉症の弟に重曹クエン酸水を、怪我をした父親にも重曹クエン酸水を飲ませ始めた。水に重曹クエン酸を足しても添加物と炭酸しか生まれないのに、何がどう効くというのだろう。

私は断固として信じないという姿勢をとっているけれど、母はそれが不満らしい。私がコロナ後遺症を引きずっている今も、それはコロナ後遺症ではなくてワクチン接種者から出る毒素にやられているのだと説得してくる。

どうやらペットにも良いとされているようで、私の猫様にもその「素晴らしいお水」を飲ませようとしたので、引っぱたいて止めた。猫様にかかる諸経費は私が全額出しているから、余計なことをするな、と。

陰謀論は凄い。皮肉の意味で。至る所に信者が居て、コロナ禍でその勢いはもう留まるところを知らない。コロナが流行ることを「パンデミック」と言うけれど、母のように怪しい情報に踊らされることを「インフォデミック」と言うらしい。

陰謀論を除けば、母は昔から変わっていない。でももう陰謀論を母から除くことが出来なくなっている。コロナ後遺症で私がずっとリバースしている時も、「デトックスだ!」とほざいていた。心配してくれた優しい母はもう見る影もない。彼女はもう今や「誰も知らない真実」に踊らされる、BOØWYもびっくりのマリオネットなのである。

母方の親族もその「真実」に全員やられてしまった。もう話も通じない。宇宙人と話しているような気分にすらなる。科学的な論文やエビデンスを示しても、それこそが政府の陰謀だと突っぱねてしまう。

そもそもその手の話はググッたら出てくるのに、どうして「誰も知らない真実」だと思えるのか。私からすれば、ググッて出てくる情報はもはや「誰も知らない真実」ではない。

今日も母は私の目の前でせっせと重曹クエン酸水を作っている。

 

こんな話、ネットでなければ誰にもできない。宗教の話は元々しにくいものであるし、近しい人がそんなものにハマっていると言うと、私まで信者だと思われてしまう。

私は周囲の人には明るくてちょっと頭の悪い騒がしい女の子だと思われている。そんな私がこんな話、打ち明けられるはずがないのだ。言われた方も反応に困るだろう。だから私には黙っている義務がある。

 

誰が何を信じようと自由である。でも、そのせいで豹変した母を見るのはやはり来るものがある。いつか何かの拍子に飽きてくれないか、と少し期待もしている。

当分そんな日は来なさそうなので、私はしばらく重曹クエン酸水を眺めて暮らすしかなさそうだ。

血の繋がり

私の出自は至って平凡である。

複雑な家庭環境で育った訳ではなくて、父も母も離婚していない。2人とも生物学上も戸籍上も私の親である。弟も2人居て、私はかなりと言って良いほど溺愛している。

でも私は血の繋がりを全く重要視していない。

 

なぜ大多数の人間は、血が繋がっているというだけで特別な存在だと思えるのか。私からしてみれば、抽選で偶然選ばれそこにたまたま生まれた人間の集合体にしか見えない。DNAを共有しているというだけで、仲良くできるのが謎なのだ。

血縁という言葉は「血」という文字が入っている。血の縁というワードはなんだか何があっても離れられない感じがする。

英語ではrelative、関連するという動詞でもある。日本語よりは若干ライトな感じもするが、関連させられているのである。

DNAは目に見えない。と言っても私は外見は父に見た目が似ているので、血の繋がりを感じさせると言えば否定できない。でも全く似ていない親子や兄弟もいることを考えれば、見た目が似ていることはDNAを感じさせることとは少し違うような気がする。

血縁によって家族とそうでない人間の線引きをするのは私には難しい。

 

「親だから仲良くしなくちゃ」「兄弟なんだから分かり合えるはず」この考えが本当に理解できない。たまたま血が繋がっただけの赤の他人で、それぞれに人格があるのに。性格の不一致を血の繋がりが補えるとは思えない。

親だから、兄弟だからと仲良くすることはできない。

 

私は弟たちと仲が良い。思春期の男子だから多少ツンケンしている節があるけれど、それでも私のことを「お姉ちゃん」と呼び、沢山話してくれる。でも、私は彼らと血が繋がっているから仲良くしているのではない。ただ単に気が合うし面白いと思うから。それだけの理由である。

現に私は父を自分の人生から締め出している。同居しているにも関わらず、もう5年ほど会話していない。理由はとてつもなくシンプルで、人間として尊敬できる点が皆無だからである。

まず彼は挨拶をしない。家族でも「おはよう」と言われれば「おはよう」と返すのが礼儀だろう。それが全くない。つまり、お礼も言えない。父が「ありがとう」と言うのを私は人生で聞いたことがない。

愛想も全くない男である。別に私はにこにこずっと話しかけて欲しいとか、四六時中上機嫌でいて欲しいわけではない。そうではなくて、人としてのモラルを守って生活してくれない人間は血が繋がっていようとなかろうと、唾棄すべき者だと認識してしまう。

「ただシャイなだけでは?」「寡黙なお父さんなんだよ」この声を幾度となく受けてきた。要はたった1人のお父さんなんだから仲良くしてあげなよ、と血の繋がりを信奉している彼らは言いたいのである。

寡黙という言葉を辞書で引くと、言葉数が少ない人という意味が出てくる。確かに言葉数は少ない。少ないというかほぼゼロである。でも彼は酒を飲み酔っ払うと、テレビに向かって野次を飛ばし始めるし、悪友としか表現しようのない友人や近所の人とはにこやかに話している。つまり彼は「家族には挨拶しなくてもいいし、会話する必要も無い」と考えていることになる。

これが彼が築いた家族でなければ、彼のスタンスを私は別に否定しない。子供は親を選べないし、ハズレの親を引いたら仲良くする必要はない。ただ私を含め3人の子供と彼が選んだ配偶者は紛れもなく彼が選んだものである。親も子供を選べないと言うけれど、少なくとも子供を持つかどうかの選択権は親にある。「どんな子供が生まれてきても受け入れます」という契約書にサインしたようなものだ。だから関係を良くしようという努力義務が発生する。なのに彼は子供と向き合うどころか、挨拶さえしない。これのどこを尊敬しろと言うのだ。

 

こういうことを言うと「大きくなるまで育ててもらったのに、恩知らずだ」「世の中には暴力を振るったりする父親もいるのだから、恵まれている」と言う声もある。

暴力を振るうというのはそもそも犯罪行為であるので、父親がどうとかそういう話ではもはやない。暴力を振るう行為は罰せられる、つまり社会的にペナルティを負わせられるマイナス行為なのである。だから暴力を振るわないことは前提条件でプラマイゼロの状態であり、暴力を振るわないことが加点にはならない。

そして自分が生み出した子供を育てることは当然の行為である。楽だとは言っていないし、世の子育て中の人には敬意を表したい。でも自分が生産責任者である以上、子供を育てるのは当然のことでもある。育児放棄をすれば、虐待として罰せられる。生み出した以上大きくなるまで育てることは私が感謝しなければいけない理由にはならない。

弟たちも父に遊んでもらったことがない。ちゃんと話をすることもなかったので、彼らも父を慕っていない。必然と言える。

 

父は忙しい人ではなかった。休みの日になれば自分の部屋に朝から晩まで籠り、ゲームをしている。

趣味を完全に捨てて子供に尽くせ、という訳ではなくて、子供がいる以上多少の犠牲は付き物だということを理解していないその独身根性が嫌いだ。父はいつまで経っても独身の気持ちでいる。だから必然的に私たち兄弟はほぼ母によって育てられた。これだったら年中無休で仕事をしてくれていた方がよかった。まだ「仕事を頑張っているパパ」として美化できた。

彼は仕事熱心なわけでもない。年収もはっきり言って子供を3人育て上げるにはかなり厳しい。それなのに世間では「子供3人の父親」としてある程度評価されてしまうことに反吐が出る。生物学上父親になったというだけで、彼は私たち兄弟より余程ガキなのに。

それでも何故同居できているかと言うと、彼が私を恐れているからである。15の夜に盗んだバイクで走り出し、結婚してからも好き放題していたのに、その末に生まれた娘が最大の天敵だったのだから、やっぱり因果応報というのはあるのだなと思う。父が酔ってテレビに話しかけようもんなら「挨拶は出来ないのにテレビには話せるんだね」と私は言う。その瞬間気まずい空気が流れる。正論だから言い返せもしない。これが私のできる復讐である。もっと気まずい空気を味わって、自分の人生を後悔すればいい。

 

母は私と父が仲良くすることを望んでいる。仲良くというか、程々には話をする関係にと。

私はそれにも応じる気は無い。あれを自分の子供の父親にと選んだのは母なので、母にも責任の一端はある。

母も人間だから選択を間違うことだってあるだろうし、それを責めているのではない。子供を抱えての離婚も難しいだろうし、母の人生だからそうしろとも言わない。ただ育児にほとんど参加せず、子供に対して愛情を示してこなかった人間を父親として認めろと暗に言っていることが許せない。

母も育児どころ家事も全くしない父のことを結婚に失敗したと言っているし、2人はほとんど業務連絡以上の会話はしない。でも母は私に父に優しくしろと言う。母は多分配偶者を間違ったことは認められても、子供たちの父親を間違ったことを認められないのだ。

 

私と母はどうかと言うと、これもまた微妙である。父よりは好きだ。確実に。ランチに行ったり、買い物に行ったりする。でも私は母を人生の要所要所で許していない。

母は私を産む前、割のいい職に就いていた。そして産休育休を取り、私を産んで世話をした。ただ仕事に復帰しようかと言う段階で私が母と一緒に居たいとごねたらしい。だから母は仕事を辞めた。そして家計が苦しくて私は大学に行けなかった。でもそれは私のせいなのだと言う。

まず母に聞きたいのだけれど、1歳そこそこの子供が「お母さん仕事に復帰していいよ。家計も苦しいだろうし。」と言うと思っていたのだろうか。私は賢い子供だったけれど、もうそれは頭の良さの問題では無い。育休から復活する親は皆、ほとんど後ろ髪を引かれるような思いで復帰していると思う。一緒に居たいという子供をなだめ、稼がなくてはいけないから仕事に戻る。母はそれが出来なかったのだけれど、それを私のせいにする。当時1歳だった娘のせいに。

そして何より怖いのは、母方の親族はみんなこのは母の考えを支持している。私が悪いということになっている。だから私は母方の親族と表面上は仲が良いけれど、心の底から好きでは無い。

 

母は自分の結婚後の人生が全て上手くいっていないというモヤモヤからか、よく宗教やネズミ講にハマった。父は母とコミュニケーションを取らないので、それを放置していた。そんな中で私はよくまともに育ったものである。今彼女は陰謀論に熱を上げている。バカにつける薬は無いのでもう放置している。

 

私が母を好きになれない理由としてもう1つあるのが、彼女はすぐに自分から苦労を背負いに行き、そして不幸であるという顔をする。

弟も父もお弁当を持って出勤する。それを母が作っている。そして洗うのも母である。「もう大変で困る」とよくキッチンでイラついているので、「本人達に作らせれば良いじゃん」と言うのだけれど、それは無視されてしまう。そしてまたお弁当を作り弁当箱を洗うことに不機嫌になる。これを繰り返す。いい大人の弁当なんて作る必要がないし、嫌なら辞めればいいのだ。作るのは良いと言うなら、せめて自分が食った分くらい洗わせればいい。なのにそれをしない。それは間違いなく母の選択であるのに、その辛さを不機嫌に変えてこちらにぶつけてくる。私からすれば八つ当たりである。

朝ごはんも家族分作って出すと朝忙しくてたまらないと言う。今どき保育園児だって自分で朝ごはんを用意するのだから、トーストの1枚くらい個人個人で作らせればいいのに、それを拒否する。そうやって甘やかしたツケがいつか彼らに回ってくるのに、それをしない。そして私はとてつもなく大変という顔をする。私にとって迷惑以外の何物でもない。もし母が先に亡くなって、トーストの1枚も焼けないジジイと化した父親の面倒を見なきゃいけないとしたら、私は母を恨むだろう。

 

きっと私がもう少しちゃんと機能している家族の元に生まれていたなら、「血が繋がったたった1人ずつのパパとママ」という思想を持てていたと思う。家族大好きな女の子で居られた。

私はこんな両親の元に生まれてしまったから、親を尊敬していたり仲が良い人とは根本的に相容れない何かを感じてしまう。その人たちが悪いのではないけれど、どこか仲良くなれないような気がしてしまう。

今はワケあって彼らと住んでいるけれど、離れて暮らしたらもう私は父と話すことは一生ないだろう。母とも距離が開くかもしれない。でももう悲しいとか寂しいとか、そういう域はとうに越している。彼らは父と母である前に1人の人間で、私とは仲良くできないのだ。同級生でクラスメイトなら仲良くしていなかったはずの人間が、たまたま血が繋がってしまっただけ。

だから私は血の繋がりを重視する気にはなれないし、これからもしない。