ギャルの遠吠え

脈絡ゼロ!

血の繋がり

私の出自は至って平凡である。

複雑な家庭環境で育った訳ではなくて、父も母も離婚していない。2人とも生物学上も戸籍上も私の親である。弟も2人居て、私はかなりと言って良いほど溺愛している。

でも私は血の繋がりを全く重要視していない。

 

なぜ大多数の人間は、血が繋がっているというだけで特別な存在だと思えるのか。私からしてみれば、抽選で偶然選ばれそこにたまたま生まれた人間の集合体にしか見えない。DNAを共有しているというだけで、仲良くできるのが謎なのだ。

血縁という言葉は「血」という文字が入っている。血の縁というワードはなんだか何があっても離れられない感じがする。

英語ではrelative、関連するという動詞でもある。日本語よりは若干ライトな感じもするが、関連させられているのである。

DNAは目に見えない。と言っても私は外見は父に見た目が似ているので、血の繋がりを感じさせると言えば否定できない。でも全く似ていない親子や兄弟もいることを考えれば、見た目が似ていることはDNAを感じさせることとは少し違うような気がする。

血縁によって家族とそうでない人間の線引きをするのは私には難しい。

 

「親だから仲良くしなくちゃ」「兄弟なんだから分かり合えるはず」この考えが本当に理解できない。たまたま血が繋がっただけの赤の他人で、それぞれに人格があるのに。性格の不一致を血の繋がりが補えるとは思えない。

親だから、兄弟だからと仲良くすることはできない。

 

私は弟たちと仲が良い。思春期の男子だから多少ツンケンしている節があるけれど、それでも私のことを「お姉ちゃん」と呼び、沢山話してくれる。でも、私は彼らと血が繋がっているから仲良くしているのではない。ただ単に気が合うし面白いと思うから。それだけの理由である。

現に私は父を自分の人生から締め出している。同居しているにも関わらず、もう5年ほど会話していない。理由はとてつもなくシンプルで、人間として尊敬できる点が皆無だからである。

まず彼は挨拶をしない。家族でも「おはよう」と言われれば「おはよう」と返すのが礼儀だろう。それが全くない。つまり、お礼も言えない。父が「ありがとう」と言うのを私は人生で聞いたことがない。

愛想も全くない男である。別に私はにこにこずっと話しかけて欲しいとか、四六時中上機嫌でいて欲しいわけではない。そうではなくて、人としてのモラルを守って生活してくれない人間は血が繋がっていようとなかろうと、唾棄すべき者だと認識してしまう。

「ただシャイなだけでは?」「寡黙なお父さんなんだよ」この声を幾度となく受けてきた。要はたった1人のお父さんなんだから仲良くしてあげなよ、と血の繋がりを信奉している彼らは言いたいのである。

寡黙という言葉を辞書で引くと、言葉数が少ない人という意味が出てくる。確かに言葉数は少ない。少ないというかほぼゼロである。でも彼は酒を飲み酔っ払うと、テレビに向かって野次を飛ばし始めるし、悪友としか表現しようのない友人や近所の人とはにこやかに話している。つまり彼は「家族には挨拶しなくてもいいし、会話する必要も無い」と考えていることになる。

これが彼が築いた家族でなければ、彼のスタンスを私は別に否定しない。子供は親を選べないし、ハズレの親を引いたら仲良くする必要はない。ただ私を含め3人の子供と彼が選んだ配偶者は紛れもなく彼が選んだものである。親も子供を選べないと言うけれど、少なくとも子供を持つかどうかの選択権は親にある。「どんな子供が生まれてきても受け入れます」という契約書にサインしたようなものだ。だから関係を良くしようという努力義務が発生する。なのに彼は子供と向き合うどころか、挨拶さえしない。これのどこを尊敬しろと言うのだ。

 

こういうことを言うと「大きくなるまで育ててもらったのに、恩知らずだ」「世の中には暴力を振るったりする父親もいるのだから、恵まれている」と言う声もある。

暴力を振るうというのはそもそも犯罪行為であるので、父親がどうとかそういう話ではもはやない。暴力を振るう行為は罰せられる、つまり社会的にペナルティを負わせられるマイナス行為なのである。だから暴力を振るわないことは前提条件でプラマイゼロの状態であり、暴力を振るわないことが加点にはならない。

そして自分が生み出した子供を育てることは当然の行為である。楽だとは言っていないし、世の子育て中の人には敬意を表したい。でも自分が生産責任者である以上、子供を育てるのは当然のことでもある。育児放棄をすれば、虐待として罰せられる。生み出した以上大きくなるまで育てることは私が感謝しなければいけない理由にはならない。

弟たちも父に遊んでもらったことがない。ちゃんと話をすることもなかったので、彼らも父を慕っていない。必然と言える。

 

父は忙しい人ではなかった。休みの日になれば自分の部屋に朝から晩まで籠り、ゲームをしている。

趣味を完全に捨てて子供に尽くせ、という訳ではなくて、子供がいる以上多少の犠牲は付き物だということを理解していないその独身根性が嫌いだ。父はいつまで経っても独身の気持ちでいる。だから必然的に私たち兄弟はほぼ母によって育てられた。これだったら年中無休で仕事をしてくれていた方がよかった。まだ「仕事を頑張っているパパ」として美化できた。

彼は仕事熱心なわけでもない。年収もはっきり言って子供を3人育て上げるにはかなり厳しい。それなのに世間では「子供3人の父親」としてある程度評価されてしまうことに反吐が出る。生物学上父親になったというだけで、彼は私たち兄弟より余程ガキなのに。

それでも何故同居できているかと言うと、彼が私を恐れているからである。15の夜に盗んだバイクで走り出し、結婚してからも好き放題していたのに、その末に生まれた娘が最大の天敵だったのだから、やっぱり因果応報というのはあるのだなと思う。父が酔ってテレビに話しかけようもんなら「挨拶は出来ないのにテレビには話せるんだね」と私は言う。その瞬間気まずい空気が流れる。正論だから言い返せもしない。これが私のできる復讐である。もっと気まずい空気を味わって、自分の人生を後悔すればいい。

 

母は私と父が仲良くすることを望んでいる。仲良くというか、程々には話をする関係にと。

私はそれにも応じる気は無い。あれを自分の子供の父親にと選んだのは母なので、母にも責任の一端はある。

母も人間だから選択を間違うことだってあるだろうし、それを責めているのではない。子供を抱えての離婚も難しいだろうし、母の人生だからそうしろとも言わない。ただ育児にほとんど参加せず、子供に対して愛情を示してこなかった人間を父親として認めろと暗に言っていることが許せない。

母も育児どころ家事も全くしない父のことを結婚に失敗したと言っているし、2人はほとんど業務連絡以上の会話はしない。でも母は私に父に優しくしろと言う。母は多分配偶者を間違ったことは認められても、子供たちの父親を間違ったことを認められないのだ。

 

私と母はどうかと言うと、これもまた微妙である。父よりは好きだ。確実に。ランチに行ったり、買い物に行ったりする。でも私は母を人生の要所要所で許していない。

母は私を産む前、割のいい職に就いていた。そして産休育休を取り、私を産んで世話をした。ただ仕事に復帰しようかと言う段階で私が母と一緒に居たいとごねたらしい。だから母は仕事を辞めた。そして家計が苦しくて私は大学に行けなかった。でもそれは私のせいなのだと言う。

まず母に聞きたいのだけれど、1歳そこそこの子供が「お母さん仕事に復帰していいよ。家計も苦しいだろうし。」と言うと思っていたのだろうか。私は賢い子供だったけれど、もうそれは頭の良さの問題では無い。育休から復活する親は皆、ほとんど後ろ髪を引かれるような思いで復帰していると思う。一緒に居たいという子供をなだめ、稼がなくてはいけないから仕事に戻る。母はそれが出来なかったのだけれど、それを私のせいにする。当時1歳だった娘のせいに。

そして何より怖いのは、母方の親族はみんなこのは母の考えを支持している。私が悪いということになっている。だから私は母方の親族と表面上は仲が良いけれど、心の底から好きでは無い。

 

母は自分の結婚後の人生が全て上手くいっていないというモヤモヤからか、よく宗教やネズミ講にハマった。父は母とコミュニケーションを取らないので、それを放置していた。そんな中で私はよくまともに育ったものである。今彼女は陰謀論に熱を上げている。バカにつける薬は無いのでもう放置している。

 

私が母を好きになれない理由としてもう1つあるのが、彼女はすぐに自分から苦労を背負いに行き、そして不幸であるという顔をする。

弟も父もお弁当を持って出勤する。それを母が作っている。そして洗うのも母である。「もう大変で困る」とよくキッチンでイラついているので、「本人達に作らせれば良いじゃん」と言うのだけれど、それは無視されてしまう。そしてまたお弁当を作り弁当箱を洗うことに不機嫌になる。これを繰り返す。いい大人の弁当なんて作る必要がないし、嫌なら辞めればいいのだ。作るのは良いと言うなら、せめて自分が食った分くらい洗わせればいい。なのにそれをしない。それは間違いなく母の選択であるのに、その辛さを不機嫌に変えてこちらにぶつけてくる。私からすれば八つ当たりである。

朝ごはんも家族分作って出すと朝忙しくてたまらないと言う。今どき保育園児だって自分で朝ごはんを用意するのだから、トーストの1枚くらい個人個人で作らせればいいのに、それを拒否する。そうやって甘やかしたツケがいつか彼らに回ってくるのに、それをしない。そして私はとてつもなく大変という顔をする。私にとって迷惑以外の何物でもない。もし母が先に亡くなって、トーストの1枚も焼けないジジイと化した父親の面倒を見なきゃいけないとしたら、私は母を恨むだろう。

 

きっと私がもう少しちゃんと機能している家族の元に生まれていたなら、「血が繋がったたった1人ずつのパパとママ」という思想を持てていたと思う。家族大好きな女の子で居られた。

私はこんな両親の元に生まれてしまったから、親を尊敬していたり仲が良い人とは根本的に相容れない何かを感じてしまう。その人たちが悪いのではないけれど、どこか仲良くなれないような気がしてしまう。

今はワケあって彼らと住んでいるけれど、離れて暮らしたらもう私は父と話すことは一生ないだろう。母とも距離が開くかもしれない。でももう悲しいとか寂しいとか、そういう域はとうに越している。彼らは父と母である前に1人の人間で、私とは仲良くできないのだ。同級生でクラスメイトなら仲良くしていなかったはずの人間が、たまたま血が繋がってしまっただけ。

だから私は血の繋がりを重視する気にはなれないし、これからもしない。