ギャルの遠吠え

脈絡ゼロ!

ママと私

最近、母とどう付き合って良いかわからない。

なんだか限界が来たような気がする。でもなんでそうなのかわからない。誰かに相談したい気がするけれど、母親とそこそこ以上に良好な関係を築いている人にはあんまり理解されない感じもする。もし理解されなくて「でも世界で1人のお母さんだからね。」「母娘だから分かり合えるよ。」とか言われたら…と考えると怖くて言えない。私に初めて前科がつきそうである。

 

毒親」というワードはなんだか怖くて使えない。自分の頭の中にある言いたいことと「毒親」という言葉はなんだか綺麗には一致しなくて、惜しいところまでいっているけれど、意図しない解釈を招きそうでもある。「毒親」はもっとこう、法に触れたり行政の介入を必要とする親な感じがするのだ。それに、とりあえず育ててもらったし、という恩義もきっと、この言葉を使うことを躊躇させている。

 

ずっといい子で生きてきた。成績も愛想もいい、家庭訪問では「素晴らしくいい子ですね。」と言われる子供だった。というか今も良い子体質は抜けていなくて、夜にお酒を飲みに行くのはなんだか悪い子みたいだし、タバコも吸おうとは思わない。赤信号で横断歩道を渡る人種とは仲良くしたくないと思う。真面目そのものだ。

頭が良いというのはきっといい事だけど、物事には必ずメリットとデメリットというのがある。私は頭の良い子供だったけど、この性質が母親の毒気を増幅させてしまったのだと今になって思う。母は完全に「私の子育てが良かった。」との自己評価を下してしまっている。

私にはアトピーがある。先天性のもので、父からの遺伝だ。かなりきついので、生まれる前からアトピー持ちの子供が生まれることがわかっていた。それなのに、乳幼児期を過ぎてから私は皮膚科に連れて行ってもらっていない。アトピーが治っていないのに、母が色んな民間療法(笑)を試していて、「病院は悪!」としてしまったからだ。痒くてたまらないのに薬が家にない、という小学生時代の記憶が今でも蘇ることがある。この病院に対する不信感はまだしっかりと母の中に残っていて、今でも病院に行きたいと言うと嫌な顔をする。父は言わずもがな人間性をどこかに置き忘れた人間だから、自分だけ病院に行っていた。

母は自分がいかに大変か、過去に自分がいかに苦労したかを知って欲しい人だ。それ自体は別にいいというか、こうしてブログに吐き出している私が言えたことじゃない。ただ私と違う点は、それをぶつけるべきではない人間にぶつけてしまうところである。私は乳児の時、寝ない子供だったらしい。三日三晩泣き続ける子供で、それはそれは育てにくかったと。まあそりゃ申し訳ねえが、正直勝手に私を作って産んだのはお前らなので、知ったこっちゃない。それでも母は「あなたのせいでずっと寝れなかった」「弟は育てやすかったのに、本当にやりにくかった」と私に今でも言ってくる。

まあそれだけならハイハイとやり過ごすけど、母は容赦なく私の心をえぐり続けた。「あなたのせいで私は仕事を辞めた。もっと稼げていたのに、働けなかったのはあなたのせい。」と呪文のように言い続けながら私を育てた。今考えたらヤベえなこいつ、としか思わないけれど、ずっと洗脳されていた私は「私のせいで貧乏なんだから、我慢しなくちゃ。」とずっと思いながら育った。大人になって周囲の人に話して初めて「それは虐待に近いよ。」と言われて気がついた。母曰く、「お母さんが仕事に行ったらお母さんと過ごせなくなるけどいい?」と1歳の私に聞き、私が「嫌だ。」と言ったから私のせいらしい。そりゃそうなるだろ。常識的に考えて、1歳児が「家計大変だもんね。いいよ。」と言うわけがない。でも母はそう信じているし、母方の親族もみんな「お母さんは働きたかったのにあなたのせいなんだから、贅沢言わないの。」と言われていた。カルトだったのかもしれない。現実としてうちにお金はなく、大学進学する時もアパートの初期費用含め全て出せないと言われて大学進学を断念した。バイト禁止のガリ勉高校だったから、当然バイトしてお金を稼ぐ方法もなかった。それでも「私のせいだから。」と思っていた。洗脳って怖い。

私が勉強して格安で留学することはできたものの、その見送りだと言って、私は断ったのに全員で新幹線で東京まで着いてきた。そして挙句の果てに「あなたのお見送りで東京まで行ったせいでさらに家計が火の車だ。」と母は私に言い放った。「だから来なくていいって言ったじゃん。」とは言ったものの、「着いていってあげたのにそんな言い方はない!」と憤慨していた。逃げ道はない。

「私のせい」が染み付くと、絶対に弱みを見せてはいけないという心理が働く。だから、私が高校の時に大学進学できないと知ったショックでしばらく保健室通いしていたことも、ご飯を食べてももどしていたことも全く知らない。母の中で私は「意見をズバズバ言う図太い子」だ。「ぽっちゃりしている」と私をいじっていたりもしたし、私はかなりの精神攻撃を受けていた。本人はそんなつもりない感じだったけれど、私には会心の一撃でした。だから私はルッキズムの権化で、今でも太っている人はダメだと無意識に思ってしまうし、自分の顔が四六時中気になる。メイクしていない顔は誰にも見せられず、すっぴんの時に室内で電気をつけられると動悸がしてしんどい。

父にも攻撃を受けたけれど、応えたことはあまりない。それでも、私が事故の後遺症で車椅子を使った時に「そんなのを使っていたら変な子を連れていると思われる」と言われたことは今でも消せない。私の体にタトゥーとして残っているような、そんな感じがしてしまう。

母は常に自分がしんどいことをわかってほしい生き物だ。そのくせ、私のしんどさはどうでもいいらしい。私が夜の仕事と通信制大学生を両立していても、どこか私の仕事を見下している。「昼間暇なんだから𓏸𓏸したらいいのに。怠惰だ。」と言ってくる。私にとって昼間はそもそも寝る時間だ。夜勤の人は昼間寝る。日勤の人は夜寝る。それだけである。そもそもお前らが大学の費用を出してくれねえからこんなことになっているのに?と思うけれど、そんなことをしたら母方の親族に泣きついて「あの子はキツい。」とぴえんぴえんされるだけ。そして親戚に「育ててもらった恩を仇で返すキャバクラで働いているような親不孝な娘」というイメージがつくだけだ。この間丸一日授業を受けた後、へとへとで食事も取らず眠ろうとしていたら「お気楽でいいね。」と嫌味を言われた。全然言わんでも良かったやろ、それ。

私は先天的に空間を把握したり、表を読むことができない。一種の脳の欠陥らしく、車はおろか自転車すら乗れない。それが母は不服らしく、「自分の足で行けば?」とやたらに言う。こんな田舎に産んでおいて、それはないだろう。私の地域にはバスもほとんどなくて、車がないと生きていけない。それでも機嫌が良くないと車は出してくれないのだ。私にもっと生活に支障をきたすような障害があったらどうする気だったのだろう。

母のタチの悪いところは周囲に素晴らしい人格者だと思われていることだ。子供たちには愛情深く、感情的になることもないと思われている。そして彼女自身も自分にそんな評価を下している。「私は感情的にならないのに、あの子はすぐキレる。」と思っているようだ。私は確かによくキレるけれど、それを少なくとも自覚している。それに母にキレることはほとんどなくて、基本的には機嫌の悪い母のご機嫌取りをしている。「朝起きるのがしんどい」「仕事で疲れているのにどうして私は横になれないのか」と誰も頼んでいないしする必要のない作業をしながらキレている母の相手をしているのだ。ずーっと母の顔色を見ながら生きてきてしまったせいで、人一倍空気が読めてしまう。だからできるだけ「元気で脳天気なお姉さん」であろうとしてしまう。そうしていれば場の空気が怖くならない。もはやアダルトチルドレンの仲間入りだ。

私は親不孝者でキャバクラなんていう非道徳的な場所で働いているのに、親を好きでいられない。この事実がどうにも受け入れづらい。両親に感謝して生きることも、「こんな親、親じゃねえ!」と突っぱねることもできない、中途半端な奴だ。一人暮らしすればいいんだろうけど、大学の関係もあって圧倒的に収入が足りない。コロナ後遺症を患ってからは出勤日数も減らさざるを得なくなっている。

こんな私がいつか、母との関係に答えを出すことができるのだろうか。それとも母が亡くなってからもこんな風に悩むのだろうか。それだったらヤダな。