ギャルの遠吠え

脈絡ゼロ!

音楽がわからないギャルと読む歌詞~第1弾~

音楽を聴く時、音そのものを楽しむ人と歌詞を楽しむ人の2タイプがいる。前者は洋楽も歌の入ってない所謂インストも楽しめる人が多いし、後者はカラオケで歌うことが好きな人が多いというのが私の勝手な分析である。

私は完全に後者だ。音楽を聴く時も、アプリで表示される歌詞に釘付けになる。音楽は好きだけれど、音楽理論はまるで分からない。だから「あの場所のベースラインがイカすんだよ」「ここの転調がいいね」と語れる人が羨ましい。知識がないと、あまり音そのものを楽しむことは出来ないように思う。反対に「頭を空っぽにしてBGMとして聞いているから」という理由で、音だけを楽しむ勢もいる。これはこれで音楽の良い聴き方だろう。私は「音楽とはこうあるべきだ」みたいなことを語りたいわけでは全くない。各々好きなように聴きたい曲を聴けば良い。

ではなぜこんなものを書いているのか。動機は2つある。1つ目は「こんな曲私好きなんだ〜」と良さをただ言いたい。もう1つは私がその曲に触れることによって、聴く人が増えて布教したことになるのではないかと考えたからだ。だからこのブログは「ただただ私が好きな曲を音楽理論も何もなしに語るだけ」である。音楽に対しての情熱が過剰なまでにある人や、音楽への知見を深めようとしている人には向かない。ギャルがただ長い爪をスマホの画面にカチカチとぶつけながら書いている、それだけの文章なのだから。

 

記念すべき第1弾は「ここでキスして。/椎名林檎」だ。私は小学校に上がる前から彼女のアルバムを聴いていた。よくよく考えれば子供に聴かせるような歌ではないのだが、放任主義な親のおかげで私はいつでも好きな音楽を楽しめた。歌詞の意味はよくわからないけれど、なんだか大人がいけないことをしているところを覗き見ているような妖しさが私を惹き付けた。大人になったら、私もこんな気持ちになるのだろうかと思いながら、今日この日に至るまで聴き続けている。無論、音楽界のクイーンの思考はただの田舎者ギャルに理解出来るはずもなく、今日も聴いている。香水も彼女が使っているという眉唾ものの情報を鵜呑みにして、お揃いだ。きっと一生彼女の脳の中身に辿り着けることはないのだろう。

そんな彼女の曲の中でも「ここでキスして。」は比較的直接的な歌詞でわかりやすい。彼女が高校生の時に書いたからなのかもしれない。出だしの「I'll never be able to give up on you.」がもう既にかなりはっきりラブソングであることを示している。直訳するなら「私はあなたを諦めることができない。」になる。ただここで好きなのはcannotではなくて、never be able toになっているところだ。どちらも「〜できない」になるけれど、前者はずっと保持している能力を表して、後者はどちらかといえば一時的なニュアンスを含む。まあ単に文字数的に後者の方がしっくり来たんだろ、と言われれば元も子もないのだが。わざわざ後者を使うことで、今恋に落ちている・熱に浮かされている感じが伝わってくる気がする。愛みたいな深いものよりは、恋していて後先考えている場合じゃない感じが好き。

1番の歌詞は割と女子高生が大人の男性に対して強がっているような印象を受けるけれど、2番からは少し焦りが滲んでいる感じを受ける。「そりゃあたしは綺麗とか美人なタイプではないけれど こっち向いて」なんて、林檎様に言わせてしまう男性がいたのだろうか。もしいるのであれば、是非どんな男性か一目だけでも拝見したいものである。サビの「どんな時も私の思想を見抜いてよ」というのも、かなり良い。よくよく考えれば、思想を見抜かれたいなんて微塵も思ったことがないのだけれど。「わかってよ」というかまちょなメッセージが当時JKだった林檎様に言わせるとこうなるのか、とびっくりする。

タイトルでもある「ここでキスして」は、余裕がなくなりきった末の「とりあえず今すぐキスしてよ」感がある。キスしてしまえば彼が離れていかないというわけでもないのに。好意が言葉だけでは伝わっていない感じがするし、もどかしいからキスという行動に出ている。そんな女の子が浮かぶ。

何故か椎名林檎はこのPVで赤い縄で亀甲縛りをして演奏している。私にその感性はないけれど、恋心に支配されていることを表したかった(のかもしれない)と解釈している。私ごときに林檎様の考えが読み切れるとは思っていないので、多分違うが。私がどう聴こうと、林檎様は知ったこっちゃないのである。

おこがましいことに、私はまだ「ここでキスして!」と言わせる男性に出会っていない。一生出会わないかもしれない。身を縛り付けるような恋自体が、椎名林檎が作り上げたフィクションなのではないかとすら思っている。そんな体験をしたことがある人は極小数だろう。本能的に相手のことを欲しいと思わなければ、衝動的な接吻には至らないのではないか、と思えてならない。