ギャルの遠吠え

脈絡ゼロ!

「美しくいなくては」の呪い

私はメイクをしないと、外に出られない。

これがいつからだったか、よく覚えていないけれど中学生の頃にはもうそうなっていた。外に出られないと言ったけれど、正確には人に会えない。宅配便ですらかなり戸惑う。

これを人に言うと「美意識が高いんだね」「見習わなくちゃ」と言われる。これがかなり怖い。

自分のためにメイクをして外に出るという点では同じだけど、根本的に何かが違う。私のそれは「武装」に近い。メイクをしていない状態で人に会うことに恐れを抱いている。もはや精神疾患と言われれば否定できない。それくらい強い強迫観念がある。

例えばメイクをせずに外に出たら、大抵の人は「あ〜今日も手を抜いちゃったなあ」「明日はちゃんとしよう」で済ませられる。私は違う。すっぴん状態だとそもそも人と話せない。挨拶すら困難である。私にとってメイクはプラマイゼロのものをプラスにする手段ではなく、マイナスをゼロに持っていくための準備。

 

私は世間一般には美人とされる部類に入る。屋台で買い物をすればべっぴんさんだからとおまけを貰えるか安くしてもらえるし、誰かが私の話をする時に「あの可愛い子ね」と言う。男性とご飯に行けば私が受け入れるかどうかは別として奢ってくれなかったことがない。そもそもキャバ嬢は平均より上の顔でないとなかなか採用されない。美人じゃなくても売れている人もいるけれど、ブスでは無い。

私は自分が可愛いから生きていけている、と感じる。

もし私がいわゆる「ブス」だったら、どうやって生きて行っていたか到底想像もつかない。実家も太くなくて、キャバクラでも働けない。今お付き合いしている人も私の顔に一目惚れしているので、そういう人もいないことになる。そういう場合の生きていく方法を私は知らない。

 

最初から可愛かったわけではなかった。ブスでもなかったけれど本当に平均的な顔だったし、それがコンプレックスだった。可愛い子は扱いが違う。どんな場面で、と聞かれても思いつかないくらいたくさんのシチュエーションで美人は優遇される。これは大多数の女性が1度は感じたことがあると思う。

だからどうしても美人になりたかった。優遇されて勝ち組の「そちら側」へ行きたかった。その想いがもう小学二年生くらいからあって、ずっとアイプチをしたりメイクをしたりしていた。

幸いなことに私は目を除けばパーツはそこそこ整っていて、高3の春に埋没して二重にしたら顔面偏差値が上がった。二重=可愛いではない。でも「一重で可愛くいる」のはとても難しい。少なくとも私の価値基準ではそうだ。

そうして出来上がったのが今の私だ。自分を最大限美人に見せる方法を知っていて、顔も良い。

厄介なのは生まれつきそこまで努力しなくても美人である人と、私のような人間はかなり違うということ。「美人ではない側」を経験したことがあるかないかは大きく中身に影響する。

努力して手に入れたものは失うのがとてつもなく怖い。だからずっとそこに対しての恐怖心が付きまとう。白雪姫の継母が鏡に「世界で一番美しいのは誰?」と確認しているあのシーンは、私にとってかなり共感できるものである。

これが美しさという観点だから私が強迫観念に囚われた変人に見えるかもしれないけれど、他のことに置き換えると理解できる人もいるかもしれない。例えば「大学受験を頑張って一流大学に行きました!」という人は、学歴を失うことがとてつもなく怖いだろう。学歴を失うことは物理的に不可能だけれど、失う可能性が出てきてしまったら...と考えると怖いはずだ。学歴という1つの武器がなくなってしまうから。

私にとって美しさは武器であり、盾である。それが時にとても残酷な武器になることもある。私は私より美しくないと認識した人が何を言っていても何をしていてもどうでも良いと感じてしまう。「この人は美しくないから私を批判するんだ」と思いたい、ある種の防衛本能とも言える。だから私の友人はみんな美人だ。というか、私がそういう人とだけ仲良くしている。自分の心の醜さと対峙したくないから。「この子私より可愛くないのにな」と一緒に過ごしている間にずっと思うのは私にとっても相手にとっても心地よい事じゃない。

一つ誤解されたくないのは、私が美しくないと思った相手に対しても、私は決して相手に悟られないようにする。これは最低限のマナーであるし、そもそもそれを表に出したら「綺麗な人」から「そこそこ綺麗だけど性格で台無しにしている人」に格下げされてしまう。そんなドジを私はしない。美しくないと思ったからって、全部口に出すのは馬鹿のすること。

そして私の容姿を醜くするものからは徹底的に距離を置く。屋外は肌が焼けてしまうからなるべく出ないようにし、アウトドアはしない。出かける2時間半前には起きないと完璧な自分で出かけられないから、3時間前には起きる。出産などもってのほかだ。「子供を産んでも綺麗な人はいるよ」「努力でなんとでもなるよ」と言ってくる人がいるけれど、そういうお話はしていない。私が子供を嫌いという事実を差し置いても、そもそもメリットになるかデメリットになるかわからない者のために、私の美しさを奪われるのが気に食わない。産んでからも自分にかける時間を割かれるのが許せない。そしてそれのせいで本来はしなくて良い努力をしなくてはいけないことが理解できない。子供にかけるお金があれば、私はもっと綺麗で居られるはず。老化に抗って、美容整形だってできる。そういう気持ちがずっと消えない。だから私は生涯子供を持たないと思う。子供は要らないという男性としかお付き合いは出来ない。子供が美しくなかったら、それだけで愛せない自信がある。

 

 

 

最後に言っておくと、私は悲観しているわけじゃない。むしろ自分の顔が好きで、満足している。「可愛いね」「綺麗だね」と言われることに喜びを感じる。ただあまりにもそこに価値を感じすぎているのではないか、と思ってしまう時がある。テレビでスポーツ選手が映っていても、パン屋さんで店員さんを見かけても、容姿に注目してしまうこの生き方は多分よろしくない。

とても狂った考えであることも、どう考えても正しくない考えであることもわかっている。でも私はこの思考から抜け出せないし、ずっと美しくいなくてはいけないという呪いにかけられて生きていく気がする。

美しさによって幸せを享受してしまっている私に、美しさを捨てる勇気はない。