ギャルの遠吠え

脈絡ゼロ!

ガサツな潔癖症

「ガサツ」であることと、「潔癖症」であることは一見矛盾しているようにも見える。でも私は実際そのタイプの人間だ。

自分の本棚の本がどんな並びになっていようと、衣装ケースの中の衣服がどれだけぐちゃぐちゃでも、正直あまり気にならない。本屋さんだったら、服屋さんだったらもちろん気になるけれど、それはお給料という対価を貰ってやることだから気になるだけである。その状態を乱雑だと認めているので、「え?これ全然綺麗じゃん」と思っている訳でもない。単に自分のルールに反さないというだけ。

こんなにガサツなのに、滑稽なことに私は潔癖症。どういう表現が正しいのかわからないけれど、「菌っぽいもの」をイメージさせるものが無理なのだ。

例えば、洗った後の食器がどこにあろうと別に私は気にならない。でもカップ麺を食べ終わった後の容器がそのまま放置されているのは発狂してしまう。

洗濯したてのワンピースが床に落ちていてもなんともないけれど、使い終わったティッシュが床にあるのを想像すると背筋がゾワゾワしてくる。

「清潔か否か」が私にとって重要で、「整頓されているか否か」はどうでも良い。

要はそのまま放置していたら変な菌の生命の息吹を感じてしまいそうなものは軒並みNGだ。

それがなんという名前の菌であるか、実際どのくらい繁殖するのかはどうでも良くて、もうそこに誕生しそうな感じが生理的に受け付けない。菌類の歌うハッピーバースデーが聞こえてきそうな気さえする。

なんだか「菌」という存在そのものが結構苦手で、乳酸菌飲料すら飲めない。口の中に入れた時にぬまっとするあの感じ、奴らは主張しすぎだと思う。彼ら(彼女ら?)からしてみれば、人間の都合で勝手に訳の分からん液体にぶっ込まれたのに嫌われるなんて可哀想だとも思うけれど、あの「私たちはここにいますよ」感がどうしてもダメだ。人間の体にとって良いものだというのも、積極的に摂ることを推奨されているのもわかっている。ただもう「菌」である以上、私は奴らとは相容れない。

「他の食品にも菌は沢山いるよ」という正論a.k.a.クソリプは御遠慮願いたい。それを認識させてくる点が問題なのだから。

 

こんな私だから、排水溝はもう直視すら出来ない。これが私が一人暮らしできない大きな理由の一つ。排水溝に蓋があって見えない状態でも、恐怖は拭えない。「お化けいるけど見えないでしょ」と言われても、「ああそっか〜なら大丈夫だね〜」とはならないのと同じ。そこに存在を認めた時点で身の毛がよだつ。

掃除機の中身も怖いので、なるべく自分では開けないようにしている。もはやパンドラの箱よりも私にとっては畏怖の対象である。

 

ドラマや映画でカップルが食後にイチャイチャしているシーンがあると、「おいおいおい、ちゃんと歯磨いた?磨いてねえよなあ〜汚ねぇ」という脳内のお節介なヴィランが私に毒を吐くので全く集中できない。人間との触れ合いもかなり苦手なので、整体や温泉、プールも私は絶対行かない。そこに私以外の「菌」が存在するから。

 

これを書くと人間性を疑われてしまいそうだけど、赤ちゃんの腕や脚もどうしようもなく苦手だ。「ちぎりパン」と称されることもあるそれは、皮膚がシワになっているところがある。そこに絶対菌が溜まっていると私は確信している。だから「むちむちしてて可愛い〜♡」という気持ちよりも先に「あそこに絶対いるよな...いるよな...怖いなあ〜...怖いなあ〜...」とCV稲○淳二で脳内再生がかかる。肉付きが良くて愛らしいことはわかるのだけれど、本当に生理的にダメ。可愛いでしょ?と言わんばかりに近づけられると逃げたくなる。でも赤ちゃんを目の前に走って逃げる大人はどう考えても社会不適合者なので、頑張って耐えている。心の中は半泣きだ。赤ちゃんも私も悪くないのに。悪いのは菌だ。

 

菌の存在がなければ、私はもっと生きやすかったと思う。「ちょっとの菌で大袈裟な」「その位で死なないよ」という声が聞こえてきそうだけど、私は私の生存確率を上げたいがために避けているわけではない。むしろ菌と仲良くしなきゃいけないなら、私の寿命はなるべく短くあって欲しい。

菌が存在している、この事実のせいで今日も私は生きづらい。